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2005年10月 アーカイブ

2005年10月01日

minfish.jp/ajaxrssreaderを公開

ajaxの解説サイトを最近、ガサガサとあさっていました。Google効果のせいで、ライブラリがわんさか出てますね。それを使ってさっそく、なんか作ってみようと思って出来たのがこれ。

ajaxrssreader.jpg

minfish.jp/ajaxrssreader - AJAXで作る RSS リーダー -

作ったといっても、javascriptのコーディングはほとんどしてないですが。Kawa.net xpさんのところで、公開しているJavaScript版 RSSリーダー (ajax)を参考に見栄えの部分に手を加えただけです。

一応本職はデザイナーなのですが、便利な物の見栄えをついつい、いじりたくなっちゃうのはどうも職業病みたいです。

JKL.Hina - テンプレート展開クラスとかは、RSSリーダーだけでなく、いろいろな場面で重宝しそうでいい感じです。おすすめ。

枠をドラッグしてレイアウトを保存したり、表示件数を変えたり、好きなRSSを見れるようにしたりと、あれこれ機能を追加してみたいです。めざすは、超簡易版 start.comとか、なんちゃってGoogle Personalized Homeもどき版(笑)。やはり中身がどうなってるのか気になりますよね。

しかしあちこちサイトを回っててて思ったのは、やはりオープンソースの力はものすごいものがあるということです。もし、jacascriptがコンパイルしなきゃならない仕様だったら、この状況は無かっただろうなあと。Flashもオープン化がガシガシ進んでますが、解析ツールなしでも(せめて標準IDEに組み込むとか)、だれでもが簡単にソースを読めるようになったらもっと良いのになと思います。

2005年10月03日

What Is Web 2.0

あとで、じっくり読むので、メモっときます。

What Is Web 2.0

2005年10月04日

minfish.jp/ajaxrssreaderに天気を追加

本日はプリミティブな形ですが、天気予報を追加してみました。ライブラリだけでどこまでできるか試してます。勉強もかねてますが、ゆくゆくは、自分専用のポータルになればよいなと。

rssreader051004.gif

minfish.jp/ajaxrssreader

kenbo.net - 天気予報RSSさんのところで公開している気象庁データRSSを取り込んでいます。
http://kenbo.net/tenki/

気象庁のデータはほかにも下のようなサイトでも変換しています。
法的にはグレーのようで商用は無理でしょう。今回のは実験ということで。

http://www.drk7.jp/weather/

商用のサイトではgooとかもありましたね。

http://weather.goo.ne.jp/

こちらもサーバーに取り込んでごにょごにょというのはもちろんNGっぽい雰囲気。たぶん自社のRSSリーダー用に公開しているのかな?

あとは、英語だけど↓みたいのもあった。

http://www.rssweather.com/

でも、上のサイトではいているRSSは下の有料パッケージを使ってるみたいですね。

http://www.hamweather.com/

やっぱり誰でもが変なしがらみがなくフリーにというのは難しいですね。気象情報なんて個人で一から収集しようと思ったら、てるてる坊主レベルが関の山ですし。

ついでに、cgiのプロキシの部分をmagpierssにしてみました。キャッシュ機能もついてるらしいし、多少レスポンスがよくなった模様。

phpのソースって初めていじってみたのですが、変な感じ。あんまり親しくない友達の家にきた気分です。

2005年10月05日

iPod nano 200GB(改)

さっき家に帰って来て発見してひとりでバカ受けしてしまいました。

iPod nano 200GB(改)

あえてDesignのカテゴリでエントリしてしまうぼくもぼくですが。

再生時間6分だと。

sonyもこのバカさを許容できるような土壌があれば豆でもなのをどうにかできたものを。
カルチャーとおバカの相関関係。

流行の伝播は欧州まで

やはり、直接ソース見れちゃうというのが大きいですよね。

フランス発Netvibes.com

Ajax使って、、というのはあっという間に当たり前になるだろうし、それ以前に何をするかが重要なのは当然だろうけど。

Google MapsってAjax使ってるからすごいんじゃなくて、便利で誰もやってなかったからすごいわけですし。やっぱそれを忘れちゃいかんですよね。自戒も込めて。

サーバーの向こう側とかその先でお金をかけれる人たち(天気予報なんて一から始めたら莫大なお金がかかるし)、お金をかけてwebサービスのプラットフォームをどーんどーんと矢継ぎ早に作ってユーザーを囲い込める人たち、などなど、が勝者になるなんてシナリオだとなんかつまらんですよね。せっかくテクノロジーは手軽なのだから。

What Is Web 2.0 を読んでみたけど、細かい技術的な事は後から考えようよ、とか思ってしまいました。技術者には当分なれそうにありませんです。ていうかどこのサイトの誰の記事読んでるつもりだよ<おれ。

2005年10月06日

Web Design patterns

業務用にメモっておきます。具体例もあってまずはわかりやすい。

Web Design patterns

プログラムのデザインパターンと違って腑に落ちる感じは少ない。だから?みたいな。
けど、チームで作業するときの共通言語みたいなものにもなるのかも。
そっくりそのままは使えないだろうけど、たたき台として。

あと、とりあえず作ってみようよみたいなノリは好感が持てた。

ちなみに、ポータルのパターンは抽象化しすぎかなあと思いました。

minfish.jp/ajaxrssreaderの枠をドラッグ

この前の tool-man Version0.2 を使用して枠をドラッグ&ドロップできるようにしてみました。

minfish.jp/ajaxrssreader

さすがにつぎはぎの限界が出て来て動きがもっさりして来ました。ここからは、自分でコーディングしなきゃいけないですね。

AJAXFrameworksをどこか経由で知ったので、これも面白そうなので使って遊んでみたいです。

2005年10月07日

Web 2.0のデザインパターン

業務用メモ。via:デザインパターン・メーリングリスト今日は眠いのでコメントなしです。

Web 2.0 Design Patterns(oreillynet.com)

Webのターニング・ポイントをとらえた重要文献、ティム・オライリーの 「Web 2.0とは何か」(mojix.org)

Web 2.0 Design Patternsの訳

デザインパターンMLに結城浩さんが投稿されてて興味を持ったのですが、昨日は睡眠欲に勝てず読めずじまいだったです。が、さっき読んでみたら、おもしろかったので翻訳してみました。

この「訳」の著作権は破棄しますので、商用非商用自由ですが、勝手翻訳で承諾を受けているわけではないのでその辺は承知おきください。じゃあ何で公開したのかというと、文中に「知的財産の保護は再利用を制限し、実験を妨げる。」とうたってたからです。図々しいですね。はい。あと、訳に間違いがあるかもしれないので、指摘していただけると嬉しいです。

よくまとまっているので、取引先に魔法の呪文で呪術をかけられそうな僕のような会社員の皆様が「なあんだ、そういうことだったのか。」となる助けになればと。デザインパターン自体トレードオフの関係は避けられないと、ちょっとかじって感じたので、Web2.0のデザインパターンだってそれは避けられないはず、ですよね。

Web2.0のデザインパターン

原文:What is Web 2.0 7. Rich User Experiences の右カラム

※括弧内の単語の追加、太字化は佐藤魚が読みやすくするためにつけました。

クリストファー・アレグザンダーは「A Pattern Language」のなかで、(デザインパターンを)建築における問題に対するソリューションを共有認識の、あるフォーマットとして書いている。「それぞれのパターンはわれわれの環境下で何度も何度もおこった問題であり、その問題の核となるソリューションを書いている。そういったわけで、このソリューションはかつて二度も同じことを繰り返したようなことなく、100万回以上も使えるものだろう。」と彼は書いている。

  1. ロングテール(※) The Long Tail
    小さなサイトはインターネットのコンテンツの束を作り上げる。狭いニッチはインターネットが可能にするアプリケーションの束を作り上げる。したがって: カスタマー・セルフサービスや、Web全体に、中心ではなく「エッジ」に、「ヘッド」ではなく「ロングテール」におよぶアルゴリズムによるデータマネージメントを活用すべし。
  2. データこそ次世代の「インテル・インサイド」 Data is the Next Intel Inside

    アプリケーションはどんどんデータ先行型になる。したがって:競争力をつけるには唯一でまねのできない情報ソースをみつける必要がある。(それを探せた人が次世代の「インテル・インサイド」。)
  3. ユーザーが価値を付加する Users Add Value

    インターネットアプリケーションの競争でアドバンテージを得るキーとなるのが、いかに提供したデータ(アプリケーション)に対してユーザーが手を加えられるかにある。したがって: ソフトウェア開発の参加のルールをを厳しくしてはいけない。どんな場面でもアプリケーションの価値をあげるユーザーを巻き込む必要がある。
  4. ネットワーク効果はデフォルトで Network Effects by Default

    価値を加えることによって、そのアプリケーションに危害を加えるユーザーは数的には少ない。したがって: 包括的なユーザーデータを集める副作用として、ユーザーのアプリケーション使用(の許可)をデフォルトとして設定すべし。
  5. 一部権利保有 Some Rights Reserved.

    知的財産の保護は再利用を制限し、実験を妨げる。したがって:共有のアダプションから利益を得るには、非公開の制限はなく、アダプションを保護する法律がある状態であるべし。すでにある(法律の)スタンダードにのっとるか、なるだけ少ない制限のライセンスを使うべし。それは、「ハッカビリティ」や「リミキシラビリティ」のためにデザインされたものであるべし。
  6. 永久にベータ版 The Perpetual Beta

    デバイスやプログラムがインターネットに接続されたとき、アプリケーションはソフトウェア製品ではありえない。それらは進行中のサービスである。したがって: 新機能を単一のリリースとしてパッケージしてはならない。そのかかわりに、普段のユーザー体験の一部として、定期的に(改善を)加えていくべし。
  7. コントロールでなく協力 Cooperate, Don't Control

    web2.0アプリケーションは情報サービスの共同体ネットワークとして成り立っている。
    したがって: Webサービスのインターフェースとコンテンツの配給システムを提供し、他のものの情報サービスを再利用するべし。弱い結合のライトウェイト・プログラミング・モデル(OOP?)を採用すべし。
  8. 単一デバイスのレベルを超えたソフトウェア Software Above the Level of a Single Device

    PCはインターネットアプリケーションにつなぐ唯一のデバイスではない。そして、唯一のデバイスにしかアクセスできないアプリケーションはそうでないアプリケーションより価値が劣る。したがって: 最初からハンドヘルドやデスクトップPCや、インターネットサーバーを統合した形のアプリケーションをデザインするべし。

(※)商材と販売量の棒グラフをみると恐竜みたいに見えるが、その「しっぽ」の部分のほうが在庫コストがゼロに近いインターネットの世界では「あたま」より儲かるという話。しかも、もともと競争が少ないので利幅も大きい。小さなビジネスでもしっぽを長くすればそれなりに儲かりますねということ。

Web 2.0 批評

というわけで、とりあえず押さえておきましょう。

Web 2.0 のアマチュアリズム

Web 2.0 の本質

2005年10月08日

Google RSS Reader

が出てた。

http://www.google.com/reader/lens/

2005年10月09日

webページデザインの終わり

大方、「なんとかの終わり」と題する文章は信用ならないと思うのですけど、インタラクティブな操作の結果何らかの情報を得るという流れがより顕著になれば、今までまかり通っていた印刷メタファーとしてのWebページデザインとかも変わってくるのではと。

紙というのはめくるものだけど、動くものじゃないし。最近のWebサービスを使ってるとそこらへんのメタファーから抜けきれてなくて、歯切れの悪い感じになってるのが多いかなあと。じっくり読むときは紙のメタファーでもいいのだけど、さくっと作業を終わらせたいときは一ページ一ページめくるような感じだとかったるいなあと思う。画面遷移の話だけでなく、サーフェースのデザインも。

先週は残業残業で脳が豆腐状態。
もうちょっといろいろ考えたいのだけど、今日のところは保留で。
でも、こういうこと考えているデザイナーは多いのだろうなあ。
早くしなきゃ。(何を?)

Web 2.0 for Designers

2005年10月13日

たくさんのbookmarkありがとうございます。

さっき、ログを見たらWeb 2.0 Design Patternsの訳にこの辺境サイトではあり得ないくらいの来訪者とたくさんのブックマークをいただきました。ありがとうございます。

キーワードがおもいっきり旬なのもあるのだろうけど、翻訳の需要って結構あるんだなあと確認した次第。出来の良い翻訳とは言えないですけど、これくらいなら昼休み中に出来るので(実際には多少フライングしてますが上司には内緒です。)また面白いのがあったら、たまにやってみようと思います。

僕自身は、実はweb 2.0にはまだちゃんとした判断が下せな状態です。Buble 2.0なんて揶揄されてたりもしますし、The amorality of Web 2.0(これも暇があったら訳してみたいです。)みたいないい分も分からなくはない。

ただ、例えバブルだろうが、次の時代の起爆剤になればそれはそれでいいのではと思います。生き残るものは結局生き残るだろうし。「大企業的」なものが持つ(ある部分の)良さも認めますが、熱狂と希望から生まれる未来を信じたい気がしないでも無いです。

new iMac G5

すみません、TKOされました。。Front Rawだけでもいいので売ってください。新しいiSightでディスプレイがカメラのフラッシュの役割をしてるのを感心してる人がいましたが、なんかもうPC超えてるねと思わせるのがすごい。やってることはしばらく前からあるのとそうは変わらないはずなのにー。パッケージ能力だけでここまでみせるか。

2005年10月14日

javascriptでMac OSX

を作ってます。

FlyakiteOSX via: Zopeジャンキー日記

ふつうに使えて驚愕。

2005年10月17日

Results-Oriented UI(結果志向のユーザ・インターフェイス)

この説明だけ読むとかえって不便なUIなように思えるのですが。

WYSIWYGよ、さようなら(Jakob Nielsen博士のAlertbox)

「結果」の組み合わせの仕方や、「結果」のストックの仕方にもよるのだろうか。
個人的にはOffice 12には注目してます。。

2005年10月18日

Web2.0に道徳を持ち込むな(訂正)

というわけで、Web 2.0 Design Patternsの訳の続きで、今度はWeb 2.0の批判として書かれたNicholas Carrの文章を訳してみました。

Nicholas Carrは、一応ふれておくと、「IT Doesn't Matter(ITにお金を使うのは、もうおやめなさい)」という本をハーバード・ビジネススクールから出版して、MSのスティーブ・バルマーを激怒させたといわれる人らしいです。

批判の論点は以下のように展開されています。長い文章なので続きを読まず、ここだけ押さえておいてもよいと思います。

  1. Webにおいてニューエイジ的なユートピア論は正しい判断を誤らせる
  2. ユートピア論からくるアマチュア主義は時としてひどいクオリティの仕事しかしない
  3. アマチュア主義は結局タダなので、プロフェッショナルが培ってきた市場をおびやかす
  4. プロフェッショナルを市場から駆逐することは世の中全体の損失である

個人的には消費者だろうが誰だろうが、誰かが労働に対する費用を負担しないことには、正しい批判が働かないばかりか、何か事業を展開しようとする際に資金繰りができないから頓挫しちゃってイノベーションがいっこうに進まないというのは十分妥当なストーリーだとは思います。既存の市場になんらかの規制をしいて保護しようと言うことには今更ならないだろうとも(希望としては)思うけど。

日本の現状だと(狭い認識の範囲ですみませんが)精神論とか理想論をすっとばして技術論とかビジネス論が突っ走ってる感じがしなくもないので、ここまで深い視点もあるんだなあと参考になれば。

例によって「訳」の著作権は破棄しますが、これ、勝手翻訳ですのでそのあたりは、承知おきください。訳の精度も保証できるものではありません。また、場合によっては突然削除することもあり得ます。

翻訳ってただ読むより、(ひょっとすると日本語で読むより)勉強になるので、そのお裾分け程度と思って頂けると幸いです。

Web2.0に道徳を持ち込むな

2005年10月3日

The amorality of Web 2.0 in Rough Type by Nicholas G. Carrの訳)

(追記:2010/5/5:とある方から訳文に対して指摘を受けたのをいくつか反映させました。)

まずはじめに、World Wide Webは半宗教的な切望を受け入れる容器であった。でなかろうか?物理的世界を超越しようとする者にとって(※1)、Webはレディメイドな約束された土地なのだ。インターネット上では、私たちはみんなシンボルがシンボルの中のシンボルに話しているように、身体が無い。早い時期のWebの形而上学についての文章は、多くは60年代以降のニュー・エイジ・ムーブメントに影響を受け、また関係した思想家によって書かれたものだったが、差し迫った魂の解放の感覚に富み、サイバーワールドを通過することを、個人の、そして共同体の束縛を解放するものとし、知性や、共同体や、そしてこの貧弱な肉体における、古くさいしがらみから解放する旅としている。(※2)私たちはもっと開けた、ほとんど天使の王国にいるみたいに自由に浮遊するネチズンになるのだと。

しかし、1990年代後半にWebが成熟するにつれて、デジタルに覚醒するという夢は(※3)、実現されないものとなった。Netは思想というより商売に、共同体というより商店街に転じた。そして、新世紀になると、ニューエージではなく、下世話な欲望のバブルがポンポンはじける、がっかりするほどありふれた世界がやってきたのだ。(※4)そんな中で、両替屋が寺院で幅をきかせるようになる。インターネットは多くのものを変化させたが、結局我々は何も変わらなかったのだ。

新しいニューエイジ

しかし、高い意識へのあこがれはバブルとともに弾ける事は無かった。(※5)たしかに、Web 1.0はスピリチュアルなベイパーウェア(直訳すると「水蒸気[かすみ](vapor)のソフトウェア」:いつリリースされるともわからないソフトウェアということらしい)に転じたのかもしれない。しかし今、我々は大騒ぎの的になっている(※5)アップグレード(Web 2.0)を得たのだ。最新号のWiredの記事でインターネット知識人、ティム・オライリーの紹介で、スティーブン・レビーが「集合知という考えはインターネットのマニフェストになりつつある」書いている。彼はオライリーの言葉を引用して「今日のインターネットは私たちが70年代に[ニューエイジ本部の]エサレンで語ってきたことの反響だ--テクノロジーによってもたらされるとは思っていなかったがね」 (※7)レビーはそれに続けて問う「インターネット - あるいはオライリーがWeb2.0と呼ぶもの - は本当に人類の潜在能力のムーブメントを承継するものなのだろうか?」(※8)

レビーの記事はケビン・ケリーが吠えているWiredの8月の記事「我々がWebだ」の余波の中で掲載された。(※9)かつて「ロングブーム」(注:Peter Schwartz著:一連のIT革命によってかつて無い長期的な好況が続くといった内容の本。またその本に書かれた長い好景気のこと。)の預言者であったケリーは、10年前にネッストケープが新規株式を公開して以来のWorld Wide Webの発展を概説し、この世界に存在するものごとについて「不気味なほど神に近づいた」視野を与えてくれる「魔法の窓」となったと結論付ける。(※10)「天使でもこれほど人類を見渡せるとは思えない」と彼は記している。(※11)

しかし、それはまだ序の口にすぎない。ケリーによれば、将来的にはWebは神の視野だけでなく、そのパワーを授けるだろうとのことだ。(※12)WebはインターネットにフィットするメガコンピュータのOSになりつつあり、そのすべてのサービス、周辺機器たるチップ全て、繋ぎあわされたスキャナーから人工衛星に至るまでのあらゆるデバイス、そしてこのグローバルネットワークに巻き込まれた何十億もの人間の意識を包み込むものになるだろう。(※13)巨大なマシーンはプリミティブな形ですでに存在しているのだ。この10年で、それは、私たちの感覚と身体だけでなく、私たちの精神も統合的に拡張するものに進化するだろう。・・・・私たちはこのようなものの中で生きることになるのだ。(※14)

革命はつづく:

惑星の歴史においてその住人が大きなマシーンの数えられない部分の一つとしてつなぎ合わされる時が一度はある。後にそのマシーンはさらに早く動作するがその時というのは一度だけということは変わらない。

あなたと私はその瞬間に生きている。

驚くべきことだが普通人々はその様な時間に生きることは無い。短い世紀ごとに着実な断続的に変化する進歩と歴史はその瞬間に左右される。私たちはそれらの重要な時代を振り返り、そして、その時代を生きることはどんなことだろうと考える。孔子、ゾロアスター、仏陀、そして後のユダヤ教徒は同じような宗教の時代の曲がり角として知られる時代に生きた。似たように、アメリカ的革命に集中している偉大な個人と、17世紀における現代科学の発達のさなかに混ざり合う天才たちは、私たちの短い文明化の歴史に軸となる局面をあらたに築くのだ。

今から三千年後に、鋭敏な知性が私たちの過去を振り返るとき、私は私たち古代の時代、三番目のミレニアムのはじまりをそういった時代の一つと見なすだろうことを信じる。ネットスケープの新規株式公開と大まかに一致するその時代において、人類はほんのわずかな知性とともに、生きていないモノに息吹を吹き込み、グローバルなフィールドの中でそれらをつなぎ合わせ、そして、一つのモノの中に私たちの精神をつなぐのだ。これは、地球上において、最も巨大で、もっとも複雑で、そして最も驚くべき出来事なのだ。ガラスと電波の外にある神経を織り込み、私たちの種は、すべての宗教、すべてのプロセス、すべての事実と概念は巨大なネットワークにまとめあげられはじめる。この初期段階から神経ネットは私たちの文明化、それまでにある全ての発明を越える検出・認識装置のための生まれながらの協業的なインタフェースなのだ。大文字のマシーンは新しい考え方(完璧な検索、完全記憶能力)と古い種に新しい精神を提供した。それは始まったのだ。

これはなにかの説明ではない。ただの逝っちゃっている文章だ。

素人のカルト

さて、あなたたちが私のことを単なる皮肉屋と片付けるといけないし、まあ堕天使じゃないとして、私自身超越的なものには、教会に通っていようが、森の中の小屋に住んでいようが、マハリシ/宗教的賢者の足もとに座っていようが、ピカピカピクセルが光る液晶画面をただ見つめていようが、賛成だということをはっきりさておきたい。ある人が誰かが見つけた神の恵みを集める。そして、もしそこに崇高な意識が認められるとしたら、あらゆる手段によって、高められるべきだろう。問題は:宗教的な言葉づかいでWebを見るとき、また、超越的なものを切望すると同時にその思いを寄せるとき、私たちはそれを客観的にみることは出来ないということだ。必然的に、私たちはインターネットを道徳の力として見なすことになり、単純な無機物なハードウェアとソフトウェアの集まりと見ることが出来ないのだ。まともな人は道徳と無関係な塊であるテクノロジーを崇めたいと思わないだろう。

そして、Web 2.0が思い描く全てのことがら、参加、集合主義、仮想コミュニティ、アマチュア主義は議論の余地無く良い事柄になってしまい、促進され、賞賛され、より進んだ状態へ向かう進歩の象徴になるのだ。しかし本当にそうだろうか?そこに反論の余地はないのだろうか?たぶん、ひょっとしたら、社会と文化におけるWeb 2.0の実際的な効果は悪い、もしくは良くないものなのかもしれない。モラルの力としてWeb 2.0を見る事はそのような問題に耳をふさぐ事になるのだ。

要点をかいつまんで言おう。もし、あなたがWeb 2.0に対して準備ができているとするなら、あなたは、「参加の時代」の輝かしいマニフェストとしてのWikipediaにてんこ盛りの賞賛を贈らないわけにはいかないだろう。Wikipediaはオープンソースの百科事典であって、貢献したいと思った誰もが、エントリーを加えたり、すでにあるものを編集する事ができる。オライリーはWeb 2.0についての明快なエッセイで、Web 1.0モデルのBritannica Onlineの先にある躍進であるWikipediaを称して「コンテンツ制作のダイナミックスにおける完全な変化」としている。ケビン・ケリーにとって、Wikipediaは、Webがどのようにして私たち個人の知性を、偉大なる集合知性の中へため込むかを表したものであるとしている。大文字のマシーンの前兆なのだ。

理論的には、Wikipediaは美しいものだ。もしWebが私たちを高尚な意識に導くものなら美しいものでなければならない。しかしながら、現実には、Wikipediaはそんなにいいものでもない。確かに、役に立つものではある。わたしは、ある題目の注釈をちょっとみるのにはよく使う。しかし、実際のレベルにおいては不確かなものだ。そして、文章はぞっとするものですらある。一つのソースとして頼ることはできないだろう。また、確実に学生の論文やリサーチペーパーへ勧めたりはしないだろう。

その実例として、Wikipediaからビル・ゲイツのセクションを一語一語引用してみよう:

ゲイツはミランダ・フレンチと1994年1月1日に結婚した。ジェニファー・キャサリン・ゲイツ(1996年4月26日生まれ)、ローリー・ジョン・ゲイツ(1999年5月23日生まれ)、フォエベ・アベル・ゲイツ(2002年9月14日生まれ)の3人の子供をもうけた。

1994年、ゲイツは2003年までシアトル・アート・ミュージアムで展示されていたレオナルド・ダ・ビンチによる「レスター手稿」を取得する。

1997年、ゲイツはシカゴに住むアダム・クイン・プレッチャーによる突発的な強盗未遂の被害者になる。ゲイツは後の裁判で証言することになる。プレッチャーは1998年7月に有罪判決をうけ、懲役6年の刑を執行された。1998年2月にゲイツはノエル・ゴーディンにクリームパイをひっかけられ、2005年に彼は有名な弁護士のヘッシュマン・フォーダに相談する。

フォーブズ誌によると、ゲイツはジョージ・W・ブッシュの2004年の大統領キャンペーンへ献金をした。Center for Responsive Politics誌によると、ゲイツは前述の献金で、2004年の選挙のあいだ少なくとも33,335ドル、50以上の政治的キャンペーンに献金した。

いかにもなのを持って来たのを許してほしいが、これは単なるカスだ。支離滅裂で根も葉もないものを寄せ集めたうさんくさい話のツギハギだ。(有名な弁護士のヘッシュマン・フォーダって誰だっての。)

また、Wikipediaのジェーン・フォンダの人生を一語一語引用してみよう:

若い頃の彼女のあだ名である、レディ・ジェーンは嫌われ者だったということだ。1964年に彼女は共産主義のロシアを旅して回り、ヘンリーの娘として温かく歓迎した人々に感動した。1960年代の中頃、パリの郊外の工場を買い取り、改装して個人のガーデンをオープンした。彼女はアンディ・ウォーホルのファクトリーを1966年に訪れている。1971年のオスカーを受賞について、彼女の父であるヘンリーに「おれがまだその仕事をしてて、受賞する前に手前の娘が受賞するなんざあどういうこった?」と言わしめた。ジェーンは1968年5月29日にライフ誌の表紙になる。

子供の頃、彼女の父の非難と疎外感とともに育った彼女は、1980年に、かれのキャリアの中でどうしても穫る事の出来なかったオスカーを穫りたいと願う、父親のそばで演技をするために「黄昏」の脚本を買う。そして、彼は受賞する。彼へのオスカー受賞を聞いたとき、彼女は「人生で最高の夜」と言った。
監督で最初の夫であるロジャー・ベイディムはかつて彼女ついてこう言った。「ジェーンと一緒に生きるのははじめから難しかった。彼女はたくさんの、なんというか、[独身癖]があった。多くの団体に属していた。時間は常に彼女の敵だった。リラックスも出来ず、何かしてないと落ち着かない。」ベイディムはまたこうも言っている。「ジェーンには限界までなにかを背負い込む癖もあった。」

これは、本当にひどい。そして、残念ながらお粗末なWikipediaの品質を明らかにしている。覚えておいてほしいのは、この集合知の流出が数ヶ月前に出て来たものでないという事だ。5年以上もの間、何千もの「勤勉な」貢献者によってなされた仕事なのだ。この点において、「集合知」における知性がいったい、いつマニフェストそのものになるのか問うのは正当なことと思われる。いつになったら、偉大なWikipediaが良くなるのか?それとも、「良き」昔気質なコンセプトはオンライン百科事典みたいな差し迫った現象には当てはまらないのか?

Web 2.0の支持者は、アマチュアを崇めまつり、プロフェッショナルを信じない。そこには、Wikipediaへの純粋な賞賛があり、そして、オープンソースと無数の民主主義による創造性の例への崇拝を見る事ができる。おそらく、彼らのアマチュアリズムへの愛は、彼らが呼ぶ「メインストリーム・メディア」の代わりとしての、ブログのプロモーション同様、自明すぎることなのだ。オライリーはこうも言ってる:「メインストリーム・メディアが個人のブログを競争相手とみているなら、彼らを本当に狼狽させるものは、その競争自体が、全体のブロゴスフェアの中に取り込まれている事にある。これはサイト同士のたんなる競争ではなく、ビジネスモデル同士の競争なのだ。Web 2.0の世界はダン・ギルモアがよぶ「バックルームの人々」でなく、何が重要かを決める、「かつてのオーディエンス」からなる「私たちがメディア」の世界でもある。」

ブログとブロギングについてはまったく賛成である。(結局私も書いているわけだし、ね?)しかし、私はブロゴスフェアの限界と欠陥について盲目ではない。-表面的で、誇張された意見として強調され、他人の言葉をそのまま繰り返し、イデオロギー的な過激主義に挑戦する事が無いばかりか、むしろ拍車をかける方向にあり、差別的ですらある。いま、どれも同じような批判がメインストリーム・メディアの断片に放り出されている。それにもかかわらず、最高の状態で、そのメインストリーム・メディアはブロガーと違ったやり方で、そして、そう、ブロガーよりもっと重要なやり方で物事を行う事ができる。これら、侮蔑された「バックルームの人々」は掘り下げたレポートとリサーチに資金をつぎ込む事ができる。彼らは、成果物に達するまでに、何ヶ月も何年もかかる、プロジェクトに対してサインする事が出来る。たとえ、それが失敗に終わるとしてもだ。かれらは、インターネット上の個人事業者など到底及ばないであろう才能のある人物を雇う事が出来る。彼らは、エディターや、校正者や、その他、表に出てこない、品質を担保する人々を雇う事が出来る。彼らは、同じページに同じウェイトをもたせて、異なるイデオロギーを掲載する事も出来る。ブログを読むか、New York Timesや、Financial Timesや、Atlanticや、Economistを購読するかどちらかを選べと言われたら、私は後者をとるだろう。私は、アマチュアの上にたつプロフェッショナルをとる。

しかし、この選択を強制したいとは思わないが。

恐ろしい経済学

というわけで、長きにわたって書き続けた事で、わたしはついに結論に達した。インターネットはクリエイティブワークの経済を変え続けている。もしくは、より広いもの、文化の経済、に押し進めている。そして、私たちの選択を広げるものというよりは、逆に狭めるものなのかもしれない。Wikipediaは、ブリタニカの出来の悪い影なのかもしれないが、プロフェッショナルでなく、アマチュアによって作られたものなので、それは只だ。そして、只なのが、いつでもそのクオリティなのだ。そして、生活のために百科事典を書いていたかわいそうなマヌケに何がおこったか。彼らはしなびて死んだのだ。ブログやほかのフリーのオンラインコンテンツが昔気質の新聞紙や雑誌に対抗する事が同じような事として起っている。もちろん、メインストリーム・メディアはブロゴスフェアを競争相手としてみなしている。競争相手だ。そして、競争の経済のもとでは、それは、優位な競争相手になるという結果をまねくかもしれない。私たちが最近見たメジャーな新聞紙の一時解雇は、ただの始まりかもしれない。そして、その一時解雇は喜ばしい事ではなく、絶望を引き起こすものだ。有頂天のWeb 2.0のビジョンに隠されているものは、アマチュアの支配なのだ。私はこれより恐ろしいものは想像できないと考えるものの一人だ。

「我々がWebだ」のなかで、ケリーが書いている。「クリエイションと配布が簡単なので、オンラインカルチャーはカルチャーなのだ。」私は彼が間違っている事を願うが、彼が正しい事を恐れもしている。あるいは、彼の言う事が正しくなる事を。

好むと好まざるとに関わらず、Web 2.0は、Web 1.0のように、道徳とは無関係なのだ。それは、ひとセットのテクノロジーであって、生産と消費の経済の形を変えるマシーンであり、大文字のマシーンではないのだ。結果が悪かろうと良かろうと関係ない。それが、私たちを高い意識に導こうが、低いところだろうが関係ない。私たちの文化を消し去ろうが、引っ張ろうが関係ない。私たちを黄金時代に導こうがダークエイジに導こうが関係ない。だから、ミレニアリストのレトリックで。そして、私たちが望むようにでなく、あるがままの事柄を見ようではないか。

追記 2005/12/14(重要)
タイトルの「Web2.0の不道徳」は不適切との指摘を受けました。すでに方々からリンクを張られていたため、コメント欄に誤りを付記するにとどめ、変更を躊躇していたのですが、やはり誤訳は誤訳なので訂正する事にします。躊躇しても事態はよけい悪くなるだけでした。反省。それに合わせて本文の言い回しも多少いじりました。

山形さんから邦訳の案をいただきました。ありがとうございます。

追記 2010/5/5
とある読者の方から翻訳案についての指摘を頂きました。以下の部分に付いて反映させました。とある方、ありがとうございました!

※1

  • 訂正前: 物理的な世界の限界を超えるものを探す人にとって
  • 訂正後: 物理的世界を超越しようとする者にとって

※2

  • 訂正前: 知性や、共同体や、伝統のしがらみや、貧弱な自身の身体性において、古くさいしがらみから解放する旅
  • 訂正後: 知性や、共同体や、そしてこの貧弱な肉体における、古くさいしがらみから解放する旅

※3

  • 訂正前: デジタルの夢は覚め
  • 訂正後: デジタルに覚醒するという夢は

※4

  • 訂正前: ニューエイジでなく、下世話な欲望のバブルがぽんぽん飛び出る期待はずれの共有地になったのだ。
  • 訂正後: ニューエージではなく、下世話な欲望のバブルがポンポンはじける、がっかりするほどありふれた世界がやってきたのだ。

※5

  • 訂正前: しかし、高い意識へのあこがれはバブルをはじけさせることはなかった。
  • 訂正後: しかし、高い意識へのあこがれはバブルとともに弾ける事は無かった。

※5

  • 訂正前: ハイパー・ハイパー
  • 訂正後: 大騒ぎの的になっている

※6

  • 訂正前: 最近のWiredの記事でのインターネットの知識人、ティム・オライリーのプロフィールで
  • 訂正後: 最新号のWiredの記事でインターネット知識人、ティム・オライリーの紹介で

※7

  • 訂正前: 彼はオライリーを引用して「テクノロジーを媒介としたものであると知らなかったことを除くと、今日のインターネットは、私たちが70年代のエサレン「ニューエイジ本部(HQ)」について話していたものの繰り返しである。
  • 訂正後: 彼はオライリーの言葉を引用して「今日のインターネットは私たちが70年代に[ニューエイジ本部の]エサレンで語ってきたことの反響だ--テクノロジーによってもたらされるとは思っていなかったがね」

※8

  • 訂正前: レビーはそしてこう問う。「インターネット、もしくはオライリーの言うWeb 2.0になるのかと問うことは、人類の潜在能力の運動と、本当に取って代わるものになり得るのではなかろうか?」
  • 訂正後: レビーはそれに続けて問う「インターネット - あるいはオライリーがWeb2.0と呼ぶもの - は本当に人類の潜在能力のムーブメントを承継するものなのだろうか?」

※9

  • 訂正前: の余波として掲載される
  • 訂正後: の余波の中で掲載された

※10

  • 訂正前: ケリーはかつての「Long Boom」の代弁者で、World Wide Webの開発に従事し、10年前のNetscapeの新規株式公開から、「マジック・ウィンドウ」が「驚くべき神業的な」存在への視点になると結論づける。「天使が人間よりすばらしい視点を持っているかどうか疑わしい」と彼は記している。
  • 訂正後: かつて「ロングブーム」の預言者であったケリーは、10年前にネッストケープが新規株式を公開して以来のWorld Wide Webの発展を概説し、この世界に存在するものごとについて「不気味なほど神に近づいた」視野を与えてくれる「魔法の窓」となったと結論付ける。

※11

  • 訂正前: 「天使が人間よりすばらしい視点を持っているかどうか疑わしい」
  • 訂正後: 「天使でもこれほど人類を見渡せるとは思えない」と彼は記している

※12

  • 訂正前: しかし、それはまだ序の口にすぎない。ケリーによると、将来的にはWebは神のビジョンだけでなく、そのパワーを保証するだろうとのことだ。
  • 訂正後: しかし、それはまだ序の口にすぎない。ケリーによれば、将来的にはWebは神の視野だけでなく、そのパワーを授けるだろうとのことだ。

※13

  • 訂正前: WebはインターネットにフィットするメガコンピュータのOSになりつつあり、すべてのサービスと、すべての周辺チップと、スキャナーからサテライトにいたる、周辺デバイスとたくさんの人間の意識を、グローバルネットワークの中にまとめあげるものになるだろうと。
  • 訂正後: WebはインターネットにフィットするメガコンピュータのOSになりつつあり、そのすべてのサービス、周辺機器たるチップ全て、繋ぎあわされたスキャナーから人工衛星に至るまでのあらゆるデバイス、そしてこのグローバルネットワークに巻き込まれた何十億もの人間の意識を包み込むものになるだろう。

※14

  • 訂正前: 私たちはその中で生きている。
  • 訂正後: 私たちはこのようなものの中で生きることになるのだ。

2005年10月20日

批判の批判の批判の...

先の「The amorality of Web 2.0」のカウンターがでてた。

There is no cult of the amateur, Mr Carr :Read/WriteWeb by Richard MacManus

via:Zopeジャンキー

このまえ、Web 2.0 for Designersを投稿していたひとですね。

おもしろそうなので、後で読みます。

「素人のカルト」なんてない。

There is no cult of the amateur, Mr Carr :Read/WriteWeb by Richard MacManusの論点をまとめました。今回は全訳はなしです。

  • Web 2.0 is amoralはアカデミックすぎてつまらないし、「素人のカルト」のところでとんでもない見当違いをしている。
  • プロを信じてないわけではないが、それ以前にWeb 2.0は「アマ」が「プロ」と競争するツールなのだ。それは今までになかったのだ。
  • アマ→プロは十分あり得るケースだろうし、そういった人々を信じるに値しないとするのは間違い。
  • Wikipediaの揚げ足をとって自らの保身につとめているが、いずれにしろ20世紀のメイン・ストリームメディアは厳しい競争にさらされるのはまちがいない。
  • 「タダ」が「品質」に打ち勝つと言うが、最近の人はコンテンツの品質について非常に「目利き」になっているのを見落としている。
  • 「free」対「quality」なのでなく、タダだろうか有料だろうが、「どのように判断を下すか」が問題。
  • Web 2.0はクリエイティブ経済をかえるものだが、品質自体はどんどん上がっていくはず。
  • 21世紀のメディアカンパニーはプロ、ユーザージェネレーティッドコンテンツ両方に影響を与える。
  • どちらも、良い品質によってお金を稼ぐ方法を考えなければならない。
  • よって、古い20世紀的メディアの考えは通用しない。

僕自身がこれらの論争で思ったこと。

コンテンツの品質が低くてても必要であれば必要な分だけ、必要な人が直せばいいのではと思います。それは、ある意味コンテンツの優先度をランクづける働きにもなるのではと。僕自身ジェーン・フォンダの一生なんて考えたこともなかったですし。

「目利き」についても、プロの仕事だからって絶対品質を「担保」されているとはいえないですよね。提供側も受け取る側もリスクの度合いは全然違うのかもしれないですけど。

あと、「タダ」が唯一の価値というのはやっぱり疑問です。結局マネタイズの方法はこれから変わっていくだろう環境の中で、どちらのサイドでも考えなきゃなあと言うのは同感です。難しいですが。

オープンソースコミュニティが貢献者にあたえる尊敬みたいなお金じゃない価値にも限度があるかなあと思いました。(これは、ちょっと言い切る自信ないですけど。)オープンソースはれっきとしたビジネスと聞いてますが。

ここまで書いてふと思ったのですが、これらって全然新しくないですよね。どれも当たり前な気がしました。

2005年10月24日

新ブラウザ「Flock」を入れてみました。

flock1024.jpg
http://www.flock.com/

いかにもな命名で、にやりって感じです。

flock [flα'k]【名】 群れ、一団{いちだん}、群衆{ぐんしゅう}、信徒{しんと}、会衆{かいしゅう}

せっかくだから、Flockから、投稿してみようと思ったのですがうまくいきませんでした。MTのバージョンの問題なのでしょうか。。。

del.icio.us連携とか、検索周りがSpotlightっぽい動きするところか、UIのスキンもそうだけど、かなりおしゃれな仕上がりになってる。Firefoxの拡張機能そのまま使えるなら、乗り換えちゃってもいいかも。(普段使いはOSX版FireFox。)

関係ないですが、Flockのホームページって新しいWeb Designだなと思いました。紙メタファーじゃなくてアプリケーションのUIとの親和性がよさげなデザインという意味で。

フォントはWeb 2.0メソッドのArialじゃなくてHelvetica Neue(ギャルソンとか無印のあれ)みたいですが。

2005年10月25日

ポストモダンとWeb 2.0

Web 2.0とポストモダンのキーワードを比較してみるテスト。


Web 2.0ポストモダン
ロングテール
The Long Tail
大きな物語の終焉
The end of Grand Narratives
データこそ次世代の「インテル・インサイド」
Data is the Next Intel Inside
引用
Quotation
ユーザーが価値を付加する
Users Add Value
脱構築
Deconstruction
ネットワーク効果はデフォルトで
Network Effects by Default
脱中心化
Decentralization
一部権利保有
Some Rights Reserved.
剽窃
Plagiarism
永久にベータ版
The Perpetual Beta
製品から情報化へ
Products to Information
コントロールでなく協力
Cooperate, Don't Control
分権
Decentralization
単一デバイスのレベルを超えたソフトウェア
Software Above the Level of a Single Device
表層
Surface Layer
やたらめったらゴシック体
Gothic fonts anywhere
バーバラ・クルーガー
Barbara Kruger

うわー。
orz

※誰かやるだろうと思ってましたが、やっちまいました。

2005年10月28日

Web Two Point Oh!

Web 2.0っぽい会社名とサービスを自動生成するWebアプリ。

Web Two Point Oh!

最初見たときシニカルだなあと思いましたが、昔うけた研修でビジネスモデルのアイディアを一日一個必ず出すために単語帳に固有名詞を書き、そこからランダムに二つ引っ張ってきてその単語からアイディアをつくると言う事をしていた人がいたそうです。(すみません誰かは忘れました。)

と、考えるとあながちシニカルでもないのかも。名前生成はともかくとして。

2005年10月29日

DIRECTORS LABEL 4+1枚組スペシャル・パック

このBlogをはじめるにあたって以下のポリシーを決めてました。

  • いわゆる「日記的」な事は書かない。
    誰が昨日観た映画の感想なんか読みたいかっつーの。
  • 学んだ技術・ビジネスを中心に仕事の事を書く。
    人のためというより、自分の成長に役立てたいからです。
  • 自分が勤めている会社の事は書かない。
    お世話になってる手前もあって、いい事も悪い事も書きたくないです。

まあ、決まりは破るためにあるのだからいいですよね。
という前置きで。

今日、DIRECTORS LABEL 4+1枚組スペシャル・パック (初回限定生産)が届きました(爆)。

DIRECTORS LABEL 4+1枚組スペシャル・パック (初回限定生産)

前回リリースのDIRECTORS LABEL スペシャル・トリプル・パック (初回限定生産)のときもそうだったのですけど、それはそれは心待ちにして待ってたものです。とりわけ、Jonathan Glazerが観たかったです。

Jonathan Glazerは、ジャミロクアイの床がぐりぐり動きまくりの「Virtual Insanity」のPVとかを撮った人です。(実際は大勢の人が建物自体をぐりぐり動かしてるそうですが。)

なんというか、この人の撮る映像はアイディア自体は実行するのがばかばかしくなるくらい単純なのだけど、本当にやってしまうのが面白い、みたいなところがあります。あと、挑発的な人間のかっこよさを撮らせたらぴか一です。

6年くらい前の僕がいた頃のイギリスでオンエアされてた、海でサーファーを追う巨大な白馬の、ギネス(ビール)のTVコマーシャルを撮っています(このDVDにも収録されているのでぜひ観てみてください)。馬と波のダブルイメージってそんな突飛なものだとも思わないのだけど、実際当てはめてみると、度肝を抜くくらいの迫力の映像になってます。

こういうのを観ちゃうとアートの世界っていいよなあと思っちゃいます。
翻ってビジネスの世界でも、

  • Yahoo BB!はありえない回線叩き売りで顧客の度肝を抜いた。
  • Appleは毎回のプレゼンテーションで顧客の度肝を抜いている。
  • Googleは枯れつつあるビジネスと技術を新しく読み替えて顧客の度肝を抜いている。

みたいなところでは、単純なご用聞きっぽい顧客中心主義というより、顧客に対して「ここまでついて来れるかっ!」的な挑発的なスタンスをとってるところはいくらでもあるわけで。(ビジネスの実態はともかく。)

昨今の多くの会社で言われている「顧客中心主義」ってなんかつまんないんですよ。「お客様が望んでいる物や事をきっちり分析して提供すれば、売り上げ等々は自然についてきます。」って事なのだろうけど。「イノベーションのジレンマ」じゃないけど、確かに長生きするのは「顧客中心主義」なのかもしれないけど、ひょっとすると、世界を変えるのは「顧客挑発主義」なのではと、このビデオを見終わって考えました。(変なDVDの感想ですみません。)

アートとか、映像とか、デザインとかやってる、いかにもな人より、「三度の飯より秋葉通い」みたいな人にこそ、ぜひ観てもらいたいです。

DIRECTORS LABEL ジョナサン・グレイザー BEST SELECTION
角川エンタテインメント (2005/10/28)
売り上げランキング: 5,251


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