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メラビアンの法則の反論の反論

その昔、学生の頃にCaryl Churshillという人が脚本を書いた「Blue Kettle」というお芝居を観ました。「Blue Heart」という二本立てのお芝居の一つです。あらすじは、昔、養子に出された男が生みの母親を探していているところから始まり、うまい具合に登場した母親と名乗る女性が実は。。。という話です。

このお芝居にはとても凝った(そして賢い)仕掛けがしてあります。劇中の登場人物の台詞がなぜか「Blue」と「Kettle」という単語にだんだん浸食されていくのです。劇の終わりの頃には登場人物は「Blue」と「Kettle」しか発していないのですが、内容はばっちり伝わってきます。

だんだん台詞が浸食してくるに従って、観客は一つ一つの台詞を注意深く聞かなければならず、言葉では伝えきれないエモーショナルな部分がより強調されてくるのです。まったく意味をなさない単語を聞いてあらすじをフォローできるという体験は不思議なものでした。

さて、ひるがえって「メラビアンの法則」です。これは説明するまでもないですが、営業等の現場では55%が外見で伝わり、話の内容自体は7%しか影響しないというものです。社会人になって受ける研修で必ず聞かされるあれです。

研修屋さんがでっち上げた、でたらめだと言ういじわるな人もいます。確かにセンシティブな契約を結ばなければならない側面では話された、もしくは書かれた内容がすべてになってくる場面もあるにはあります。

もちろん話の文脈や流れにもよると思うのですが、どんなに相手が発している単語が立派でも相手に伝わらないってことはよくあると思います。べつにメラビアンさんの肩を持つという事でなく、「Blue Kettle」ほど極端でないにしても、そういうことってビジネスの現場では普通に起るかなと、なんとなく思いました。

あと、「メラビアンの法則」への反論って言葉尻をあげつらってる点で「メラビアンの法則」の術中にはまってるという罠。論理的に多少おかしくても多くの人が(優秀な研修屋さんの話を聞いて)納得しちゃってるという。

このエントリーは敬愛するハロルド・ピンターがノーベル文学賞を受賞したと聞いてなんとなく思いついて書きました。決して今日の協力会社様との打ち合わせでのぼくの説明がたどたどしかったからではありません。(いい加減プレゼン力つけなきゃ。とほほ。)

ハロルド・ピンター氏は闘病中との事ですが、およばずながら回復を願ってやまない次第です。

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トラックバック時刻: 2005年12月22日 23:04

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