複製技術の時代におけるアート作品
The Work of Art in the Age of Mechanical Reproduction(英訳からの重訳)

ヴァルター・ベンヤミン 著
佐藤魚 (sakana@minfish.jp) 翻訳

(C) 2003 sakana sato


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<版権表示終わり>



「遠い昔から現在に至るまで、今のわたしたちと比べればそれほど、ものごとに対する力のなかった人々によって、わたしたちのファインアートは培われ、いろいろなタイプや、適用の仕方があみだされてきた。しかし、驚くべき技術の発展、到達された適応性、その精密さ、そして考え方と、創造された習慣は、古代の工芸の美において、ものすごい変化が差し迫っていることを確かなものにする。過去二十年のあいだ、物質も空間も、時間も大昔からのそれと同じであったことはなかった。わたしたちは、アートの技術をまったく変えてしまうすごい発明によって、感動的なアートの試みそれ自身と、おそらく、アートに対する概念ですら、とんでもなく変化するであろうことをあらかじめ知っておかなければならない。」

----ポール・ヴァレリー「芸術論集」の「偏在性の獲得」から


はじめに

 マルクスが資本主義の生産のありさまの批評を始めたとき、生産のあり方は、まだヨチヨチ歩きの状態であった。マルクスは先回りするような方向で取り組んでいた。彼は、資本主義の生産の基本に立ちかえり、将来において、どのようなことが資本主義に求められているのかを示した。その結果は、ひどく労働者を搾取するということだけでなく、そもそも資本主義そのものをダメにするかもしれないというものだった。
 上部構造の移り変わりは、下部構造より、もっとゆっくりとしたものだったが、すべての分野の文化で、その生産のしかたの変化が明らかになるのには、半世紀以上もかかった。やっと、今になってどんな形をしたものだったか、語ることができるのだ。そして、確かな予測がこれらの条件によって可能にするのだ。しかしながら、権力を持ったあとの労働者アートについてとか、階級のない社会のアートについてなど、現在の生産の条件における、アートの発展傾向についてより、その予測との関係が薄いようだ。それらの弁証法は経済においてより、上部構造との関係が薄いというわけではないようである。だから、その武器としての価値をみくびるのは誤りだといえるだろう。それら弁証法は、時代がかったコンセプト、すなわち、創造とか、天才とか、永遠の価値とか、神秘などといった、コントロールできない(少なくとも今はほとんどコントロールできないであろう)ものを軽くあしらうものである。これらのコンセプトの応用はファシスト的な、情報のねじ曲げを引き起こす場合もあるにはある。したがってアートの理論として紹介される、そのコンセプトは、慣れ親しんだコンセプトと違ってファシズムの目的としては役立たずであるといえるであろう。その一方で、アートの政治性において革命的な要求を成り立たせるのに役に立っているのだ。


I

 原理的に、アート作品はいつの時代でも複製できるものだった。人間が作った人工のものは、別の人間によって模造されてきた。レプリカは弟子たちの練習台として、師匠の普及品として、そして、第三者の金儲けのために作られてきた。それに対して、アート作品の機械的な複製は、新しいものだといえる。その技術は、歴史的に、途切れ途切れに長い間をおきながらも飛躍的に発展した。それも爆発的な勢いで。古代ギリシャ人はアート作品の技術的な複製において二つの方法しか知らなかった。型取りと、型押しだ。すなわち、青銅やテラコッタやコインのみが、彼らが量産できるアート作品だったのだ。その他のものは唯一無比のもので、機械的に複製できなかった。木版画によって、グラフィックアートは初めて機械的に複製できるようになる。印刷によって文章が複製できるようになる、かなり前のことだ。ものすごい変化が、活字、すなわち文章の機械的な複製によって、文学に起こったということは、あちこちで聞く話だろう。活字は、世界史的な見かたを通して考えてみると、非常に特別で重要な事がらだったのだ。中世の間に木版画とエッチングが、そして、19世紀のはじめには、リトグラフが現われた。
 リトグラフによって、複製の技術は、決定的に新しい段階をむかえた。リトグラフの制作方法は、木の板を彫ったり、銅板を酸で傷つけたりするやり方とちがって、単に石の上のデッサンをなぞるだけで、より直接的で簡単だった。そして、グラフィックアートをはじめて市場に送り出すことになったのだ。その流通した数は従来と比べ物にならないだけでなく、日常のあり方まで変えてしまったのだ。そしてリトグラフはグラフィックアートによって日常を描くことができるようにし、活字と足並みをそろえるようになった。が、しかし、その発明のたった数十年後に、リトグラフは写真に置き換えられてしまったのだ。画像を制作するプロセスにおいて、はじめて、写真は手の働きをアートの一番重要な役割から解き放った。今度はレンズを通した目の働きが重要になったのだ。目は手で描くよりすばやく物をとらえることができるので、画像の制作のプロセスは、とんでもなく早くできるようになる。それは話す動作と並ぶくらいだ。スタジオで撮影するカメラマンは俳優と話すスピードでイメージをとらえる。ちょうどリトグラフが絵つき新聞の可能性を事実上、ほのめかしたように、写真もトーキー映画の前身だったのだ。音の技術的な複製は前の世紀の終わりごろから取り組まれた。集中的な努力によってもたらせうる物は、ポール・ヴァレリーが以下の文でふれたようなものだった。

「水、ガスや、電気が安全で、必要に応じて、簡単に遠くから私たちの家にくるように、イメージや音も、ちょっとした合図みたいなシンプルな手のしぐさによって、現われたり消えたりするようになるだろう。」

1900年ごろ技術による複製は、そのときのアート作品すべてを複製することができるレベルに達し、世の中にすごいインパクトを引き起こす事になった。それだけでなく、アートの制作プロセスにおいても、ある一定の地位を築き上げることになったのだ。このことから、二つの異なった現象が−−−複製アートと映画が−−−アートの形式に仲間入りすることになる。これは、それまでのものに対する反動でもあった。


II

 もっとも完璧なアート作品の複製といえども、一つの点においては、不完全といえる。それは、時間と空間における、ありかただ。このアート作品が、ただひとつしかないという状態は、その時間と空間におけるありかたにおいて決められる。このことは、持ち主が何度も変わることと同時に、何年もの間、物理的なコンディションに耐える事によって生まれる変化も含まれる。一番の手がかりは、複製が真似ることのできない、化学的、物理的な調査によって明らかになるものだ。持ち主の移り変わりは、伝統についてのことであり、伝統についてのことは、オリジナルな状態からさかのぼるということだ。
 オリジナルな存在というのは、ホンモノというコンセプトに基づいている。ブロンズの錆びを化学的に調べることは、ホンモノかウソモノかを明らかにするのに役立つ。ちょうど、十五世紀の書庫から出てきた本が中世のものだという証明書が証明するように。すべてのホンモノらしさは技術的なものによるものではない。もちろん、技術的じゃないというだけではなく、もう一度作ることができるということでもない。手作業による複製は、いつもニセモノの汚名を着せられるわけだが、オリジナルはその「ホンモノらしさ」保っている。しかし、技術による複製に向き合うと、そうは行かなくなる。理由は二つある。第一に、機械的な複製は手作業による複製よりも、独立しているということだ。たとえば、写真において、機械的な複製は、裸眼がとうていたどり着くことができないオリジナルさをひきだす。つまり、好みによって、見え方を調節したり、選んだりできるということだ。そして写真による複製はしっかりしたプロセスを経ることによって、裸眼で見るのとは違った、望遠やスローモーションのイメージなどを得る事ができる。第二に、機械的な複製は、オリジナルのコピーを、オリジナルそのものでも届かないような状態にしてしまうということだ。そのうえ、機械的な複製は写真やレコードのように見るものを身近にしてしまうものだ。伽藍は、アート大好きな人のスタジオの中に移され、また、講堂や外で演奏される合唱隊の音楽は居間でも聴くことができるのだ。

機械的な複製が作られることによってもたらされる状況は、現在のアート作品とは関係のないことかもしれない。というのは、今のところ複製作品の見かけ上の質は悪くなるからだ。このことは、アート作品にだけでなく、たとえば、映画で観る、目の前を過ぎていく風景にも当てはまる。アート作品の場合、もっとも微妙な核心は--すなわち、そのホンモノらしさは--自然の物がそれほど、もろくない一方で、干渉されやすいものなのだ。物のホンモノらしさというのは、作品が生み出されたときから伝わることができるものであって、実質的な耐久年数から、経験された歴史による証明にいたるまでのすべてによるものなのだ。歴史的な証明はホンモノらしさに基づくものなので、そのホンモノらしさも、実質的な古さが意味を成さなくなってしまう複製によって、台無しになってしまうのだ。そして、その証明が明らかになると、実際に台無しにされるものというのは、その物のホンモノらしさそのものなのだ。

ここで、消え去っていく要素を「アウラ」という言葉でひっくるめると、機械的な複製の時代に色あせるのは、アート作品の「アウラ」だと言えるだろう。このプロセスは、アートだけの話よりもっと先の重要なポイントを示している。一般的な言い方をすると、複製技術は伝統的に複製されたものを大きく引き離すということかもしれない。多くの複製を作ることによって、ただひとつしかない存在は複数のコピーにとってかわるだろう。そして、複製を認めることによって、観るものや聴くものに特別な状況に近づけることで、それは複製を再び活発なものにする。これらの2つのプロセスは、人類の危機と同時に革新を一緒にし、伝統の激しい破壊を引き起こすのだ。両方のプロセスは、現代の大衆運動とも密接に関係している。そしてそのもっとも端的な例は映画だ。映画の社会的な重要性は、最も肯定的な形での特異性はそれを破壊やカタルシスをまねくことなく、想像もできないもので、文化の遺産の伝統的な価値を一掃してしまうものだ。その現象は歴史的な映画において、もっとも明らかだ。かつてない新しいポジションへ拡大するものだ。1927年にアベル・ガンスは熱意的にこう語った。

「シェークスピも、レンブラントも、ベートーベンも映画になるだろう・・・すべての伝説や、神話や、おとぎ話や、すべての宗教の創始者も、すべての宗教ですらも、復活があらわになるのを待ち受けるだろう。そして、ヒーローが門のところで一同を介すだろう。」

おそらく、彼は考えてなかっただろうが、彼が取り上げたものは、すべてをひっくりかえすものだった。

III

長い歴史の中では、人間のあり方が変わることによって、その感じ方も変わっていく。人間の感じ方を取りまとめた様式--そこで成し遂げられたメディア--は自然だけでなく、歴史の流れによっても決定される。五世紀に、人口の大きな移動とともに、ローマ後期様式の工芸産業と、ウィーン・ジェネシスが生まれ、古代と単純に違うだけでなく、新しい知覚のあり方のアートが誕生した。ウィーン学派で、古臭い伝統に逆らった、リーグルとヴィックホフは、知覚のまとまり方を考えることから、古い伝統がそれ以降のアートの様式を埋もれさせてしまうという結論に至った。彼らの洞察はなかなかあっぱれなものであったが、ローマ時代の特徴としての表面的な形式を重要視するというのは彼らの限界でもあった。彼らは、思ってもみなかっただろうし、たぶんそういう見方すらしなかっただろうが、知覚の変化によって明らかになるのは、社会の様子も変わるということなのだ。そういった考え方のための条件は現在においては、なじみ深いものではある。そして、もし現代の知覚の変化が「アウラ」の衰えによって理解されるのなら、それには社会的な原因があげられるだろう。
歴史的な対象としてあげられた「アウラ」のコンセプトは、自然における「アウラ」を引き合いに出すことで分かりやすくなる。後者の「アウラ」は非常に近い距離であっても、独自の現象としてとらえることできる。夏の午後にちょっと一息ついている間、あなたは、水平に広がる山や、あなたに影を投げかけている木の枝を眺めているとすると、あなたは、山の「アウラ」や木の枝の「アウラ」を体験しているということが言える。この例えは、簡単に現代の「アウラ」が衰えている社会にも、あてはめることができるだろう。これは、現代の生活の大衆にますます重要さが増すということに関係した、二つの事柄に関係している。すなわち、一つは、空間的にも人間的にも「近く」に引き寄せようという思いをもった現代の大衆の欲求で、もう一つはそれと同じくらい熱心に、複製を認めることによって、すべての現実の独自性を乗り越えようとする性質である。日ごとに、複製をホンモノに似せて、手元に置きたいという欲求はどんどん強くなっているようだ。間違いなく、写真雑誌やニュース番組の写真は裸眼でみる画像とは違ったものだ。他にないということや、ずっとそこにあるということは、後者の、裸眼で見ることと関係が深く、一時的で複製可能ということは、前者に関係が深い。モノを包み込む殻をこじあけ、「アウラ」を破壊することは、「物の平等さに対する感覚」を感じ取っているということで、複製によって、ただ一つしかないものからでさえ、「アウラ」を抜き出そうという段階まできている。したがって、知覚の分野で明らかになるのは、理論の分野が、統計の重要さが増すなかで明らかにするものと同じものであると言える。大衆を現実にあてはめたり、現実を大衆にあてはめたりして、考えることは、知覚を考えることと同じくらい、限りのない射程を持ったプロセスである。


IV

アート作品がただ一つしかないということは、伝統に組み込まれていることと、分けて考えることはできない。この伝統は変わることなく、いまでも脈々と受け継がれている。例えば、古代のビーナス像は、古代ギリシャ人には崇拝の対象に、中世の聖職者には、不吉な偶像としてみられていた。異なった伝統の流れにもとづいているからだ。しかしながら、両方とも等しく、「アウラ」という、ただひとつしかない、という事実に直面している。もともとは、伝統におけるアートの文脈の一本化は宗教におけるアートのなかに見出されたものである。最も初期のアートは、儀式などに用いられたものだというのはよく知られている。---最初は魔術的な用途で、だんだん儀式的なものに移り変わってきたのだ。重要なのは「アウラ」を持ったアート作品が儀式的な役割と切っても切り離せないところだ。言い換えれば、「ホンモノの」アート作品の、ただひとつしかないという意味での価値は、儀式的なものに基づき、オリジナルだという価値もそこにあるのだ。この儀式的な基礎は、間接的であるにせよ、美の信仰対象のありかたにおいて世俗化した儀式として認識できる。世俗的な信仰対象の美は、ルネッサンスの時代に発展し、三百年もの間、主流になった。これは、儀式的なものの衰退と危機をはじめてはっきりと示したものだ。複製の本当の意味での革新の到来とともに、写真や社会主義の台頭とともに生まれたアートは、100年ほどのちに現実となる、すぐそこにある危機を意味していた。そのとき、時代のアートは理論とともに「アートのためのアート」という考え方を掲げていた。これは、「アートのための」考え方としては、ネガティブな理論である。社会におけるアートの、どんな役割をも否定し、その主題によって分類することをも否定した。(文学においては詩人のマラルメが最初にこの立場をとった。)
機械的な複製時代のアートの分析はこれらの関係をもとに判断を行っていく必要がある。その分析が、すべて重要な洞察を導いていく。歴史上、初めて機械的な複製はアート作品を儀式的なものに寄生して頼らなければならないということから解き放ったのだ。アート作品がかつてないほどに複製されるということは、アート作品自身を複製に適しているように、姿を変えさせた。写真のネガフィルムから、いくらでも写真を焼き増しできるのは、そのよい例だ。写真の場合において「ホンモノの」プリントというのは意味のないことだ。そして、「ホンモノらしさ」の基準が、アート作品を制作することにおいて問題ではなくなったとたんに、アートのすべての役割はひっくり返されてしまうのだ。儀式的なものに基づく代わりに、別のものに基づくようになる ---そう、政治だ。


V

アート作品は異なる水準で受け取られ評価される。すなわち、二つの見方による。ひとつは、昔ながらのもので、宗教的な価値だ。もう一つは、作品を展示する時の価値だ。アートの制作は宗教的な用途のための儀式的なものとして始まった。石器時代の人に洞窟の壁に描かれた大鹿は魔法の道具みたいだった。石器時代の人は、仲間にその絵を見せびらかしていただろうが、おもに、こころの充足のためのものだったのだ。最近では、宗教的な価値はアート作品に秘められた、役割といえるだろう。特定の神々の彫像は貯蔵室に置かれ、聖職者のみ観ることが許されていた。聖母像によっては、ほぼ一年中覆いに包まれていて、いくつかの中世の伽藍にある彫刻にしても地上に出てきて一般人の目に触れられることはなかった。儀式的なものからのアートの解放によって、アート作品は人の目に触れる機会が増えた。寺院の中の決められた場所にしか展示できない神々しい彫刻を、どこか決まったところに展示するより、あちこちに送られる胸像はもっと展示しやすいといえる。モザイクやフレスコに対してのタブロー絵画もこれと同じことがいえる。そして、ミサ儀式の展示のしやすさは、もともと交響曲と同じようなものだったが、交響曲はミサ儀式のそれを上回る大衆へのプレゼンテーションのしやすさということに由来するものだった。
いろいろなアート作品の複製技術の方法によって、展示へ向いているということが、より一層、いちじるしくなった。それは、二つの極の間で、量的な変化がその性質の質的変化にシフトしていくものだった。このことは、宗教的な価値の絶対的な強調によって、何をおいても、魔法の道具がまず大事であった時代、すなわち有史以前のアート作品の状況と比較できる。あとになってやっと、アート作品とみなされたわけだが。今日と同じやり方で、展示の価値に絶対的な重きを置くことによって、アート作品は、われわれが意識的になる何かと似た、まったく新しい役割を担うようになった。後にそれは、偶然だったと見られるかもしれないだろうが。ここで、いくらかのことがいえる。つまり、今日の写真や映画はこの新しいアートの役割のもっとも、わかりやすい例であろう。


VI

写真の展示における価値は、宗教的な価値を、ことごとく置き換えはじめた。しかし、宗教的な価値は打つ手もなく、そのポジションを明け渡したわけではない。宗教的な価値は究極の一手を打ったのだ。そう、それは、人間の顔だ。ポートレイトが初期の写真のいて重要な点だったのは偶然ではない。どこかいなくなってしまったり、死んでしまったりした、愛するもの面影を思うことは写真の宗教的な価値のみ重きを置くことに反するものである。つかの間の人間の表情を撮った初期の写真からは最後の「アウラ」があふれ出ているのだ。このことは彼らのメランコリーを思わせ、比べようもなく美しいのだ。しかし、人間が写真のイメージから離れることによって、はじめて、展示における価値は儀式的なものに勝るということをあらわにする。この新しい段階を指し示したのは、1900年頃、閑散としたパリの街並みを撮影したアジェによる素晴らしく、他と比べようもない功績だ。彼は、犯罪現場のように写真を撮ったと言われていることは、まったく正しいことである。アジェによって、写真は歴史的な事実のスタンダードになったのだ。それら写真は特別なアプローチ、すなわち、漠然とした曖昧な瞑想を抱くのはその犯罪という事実には不適切であると示していた。それらの写真はみるものを混乱させていた。それは、アジェに新しいことを挑戦していると自覚させるものでもあったのだが。それと同時に、写真雑誌は正しいか間違いか、それとも、まったく問題にならないものかを、示すものになる。そこではじめて、キャプションが必須のものになるのであった。そして、そのキャプションは絵画の題とは明らかに違ったものだと言えるだろう。写真雑誌の中で、その写真にキャプションが与える内容は、一つ一つの画像の意味が、一コマに先立つ全体の流れの中ではっきりするという、映画において、より明白で必然のあることになっていった。


VII

十九世紀に言い争われた、「絵画の価値」対「写真の価値」という話題は今日では、捻じ曲がってしまい、混乱の極みだ。しかし、この問題は重要さをそこなうものではく、むしろ、強調するものだ。その論争は実際、絵画派、写真派のおたがいに気づかれることないながらも、世の中にインパクトを与える歴史的な変化のきざしだったのだ。機械的な複製の時代が宗教的な基盤からアートを離したとき、うわべだけであったアートの自立性をも永遠に引き離してしまったのだ。アートの役割の変化による結果は、百年のパースペクティブをも超えてしまった。長い期間においては、映画の発達を経験した二十世紀ですら飛び越してしまったのだ。
言いはじめの頃はほとんど役に立たなかった、この考えは、写真はアートかどうかという問題に費やされた。第一の疑問---偉大な発明である写真は、アートの性質をまったく変えてしまったかどうかという疑問---はあげられなかった。すぐに、映画の理論家が映画をアートとみなすことによって似たような不適切な疑問をなげかけた。しかし、写真が伝統的な美学を扱うことは難しく、映画のやりかたは、まるで、ただの子供のお遊びにしか見えなかった。なぜなら、その映画の理論は鈍感で強引だったからだ。例えば、アベル・ガンスは映画と絵文字を比べたりしていた。

「ここで、注目すべき回帰によって、古代エジプト時代の表現のレベルまでさかのぼる事になった・・・・絵文字はわれわれの眼が慣れていないので、まだ熟していない。いまだ十分な敬意を持たれおらず、また、それが表現することで十分な畏怖の念を受けていない。」

また、セヴラン=マルスは、

「詩的なものと現実的なものを同時に夢見ることができるアートとはなんたることか!この点において、映画は他と変えがたい表現の意味を指し示すかもしれない。意識の高い人物のみが、もっとも完璧で、もっとも神秘的な人生の瞬間に、全体的な雰囲気を体験するであろう。」

と言っている。アレクサンドラ・アルヌーも無声映画にたいして幻想を抱きながら、こう疑問を抱いている。

「すべての大胆な表現は、祈りの定義を与えるものではないだろうか?」

「アート」のあいだに映画を位置づけたいがために、これらの理論家が慎重さを欠いて、宗教的な価値を映画のなかに見出そうとしているは示唆的だ。こうした考えが発表されたとき、すでに「輿論の声」「黄金への道」といった映画が公表されていた。しかしながら、このことは、アベル・ガンスが絵文字を比較の対象として引用することをとめることはなく、また、セヴラン=マルスがフラ・アンジェリコの絵画を話すように、映画について話すのを止めさせなかった。特徴的に、今日においてすら、超反動主義者の作者は似たような文脈で映画を取り上げている。--あからさまに宗教的でないとしても、少なくとも超自然的なものとして。マックス・ラインハルトの「真夏の夜の夢」という映画へのコメントで、ヴェルフェルは、疑いなく街並みや、イテリアや、駅や、レストランや、車や、ビーチなどの、外の世界の不毛なコピーはアートの分野における映画の地位の向上に対して障害になると言っている。「映画は、本当の意味にいまだ気づいていない。本当の可能性は・・・これらが、他と代えがたい説得力とともに、自然をとらえ、妖精のようで、不思議で、超自然的なものを表現することのできる、ユニークな能力が含まれていると言うことだ。」


VIII

舞台俳優のアーティスティックな演技は、一人の人間である俳優によって観客に表現される。しかしながら、映画俳優は、二つの影響とともに、カメラによって観客に表現される。映画俳優の演技を映すカメラは、全体としての演技に重きを置かない。カメラマンに導かれ、カメラはパフォーマンスを第一に考えて、連続的にカメラの位置を移動する。編集者が撮影されたフィルムを素材として構成したシーンによって映画が完成する。それは、特別なカメラのアングル、クローズアップとかそういったものはさておき、実際には、カメラによる、運動の結果によって成り立つ。したがって、俳優の演技は一連の光学的な題材とされる。このことは、俳優の演技がカメラによる手段によって示される初めての結果だ。また、映画俳優は彼が演技する間、観客にあわせて演技する舞台俳優のような機会を失う。なぜなら、彼は、人間の前で演技をしているわけではないからだ。このことは、俳優と、どんな個人的な接触をすることなく、観客に批評家のような立場を取らさせる。観客が俳優と一体となることは、実際、カメラと一体となることなのだ。結果的に、観客は、アプローチがテストであるカメラの立場を取ることになる。このことは、宗教的な価値が明らかにするアプローチではないと言える。


IX

映画にとって、まず問題になるのは、俳優が誰かに向かって演技するかということではなく、カメラに向かって演技するということなのである。このことを初めて言った人に、ピランデロがいる。彼の小説の「ある映画技師の手記」のテーマは、そういった疑問のネガティブな部分をうちだし、無声映画に限られているということにもかかわらず、まったく正当性を失うことはない。彼が述べている点において、トーキー映画でも、その重要さを失うことはないのだ。このことは、観客のみに言えることではなく、機械的な装置にも言えることで、トーキー映画かどうかということは問題ではないのだ。「映画俳優は舞台から追い出されているだけでなく、彼自身からをも追い出されている。俳優が感じる、言いようのない空しさや、居心地の悪い感覚とともに、音のないイメージのなかで変化するため、彼のからだは具体性を失い、蒸発し、現実感や、生命感や、声や、彼が動くことによって生じるノイズを奪う・・・・公衆の前でプロジェクターが彼の影を映し出し、彼自身はカメラの前で演じるコンテンツになってしまう。」とピランデロは言っている。この状態は以下のようなものによって特徴づけられるものかもしれない。すなわち、はじめて、---そしてこのことは、映画的な効果であるが、---人間は、「アウラ」なしで、からだ全体で、働きかけなければならないということだ。「アウラ」が俳優の姿かたちにとらわれているということは、俳優のレプリカなどまったく無いということだ。舞台の上の「アウラ」はマクベスから発せられ、観客は俳優の「アウラ」から離して考えることができないのだ。しかしながら、スタジオにおける、撮影の一回性は、カメラが、観客の代わりであるということをも意味する。結果的に、俳優を包み込む「アウラ」は消えさり、俳優が演じている人物の「アウラ」も一緒に消えるのだ。
映画を特徴付けるにあたって、何の気なしに、でも鋭く批判をしたのが、劇作家であるピランデロだったということは、驚くことではない。演劇でも似たようなことが言えるからだ。徹底した、研究はどれも、中心的な存在であり、映画のように機械的な複製に基づくアート作品と、舞台の演劇とは大きく違っていないということを証明している。識者たちは映画において長いあいだ、「もっとも重大な効果は可能な限り微妙な「演技」によってもたらされる。」ということを認識していた。1932年にルドルフ・アルハイムは「最近のトレンドは…俳優を、その特性を吟味し、適切な場所に設置する舞台の小道具として扱うことだ。」という見方をしていた。この考え方によって、なにかが非常に密接につながったのだ。舞台俳優は役の性格と自分を同一化するが、映画俳優はしばし、この特性を無視する。俳優の創造性は作品のすべてを意味しない。いくつかに分かれた演技によって組み立てられるからだ。ふとした、その俳優の思いつきに加え、スタジオ使用料や、俳優仲間の能力や、舞台装置などなど、俳優の仕事を、一つの部品として組み込む、その他の設備も基本的に重要なのだ。特に、照明や大道具は、スタジオで何時間もかけられてバラバラに撮影された一つのシーンに対して、すばやく、そして、統一の取れたシーンをスクリーン上で展開することを要求される。もっとあからさまなモンタージュの手法を持ち出すまでもないだろう。したがって、なにかの台から飛び降りるシーンをスタジオで撮影して、窓から飛び降りたということにもでき、続いて飛んでいるシーンも、屋外のシーンとして、何週間もあとに撮影することもできる。さらに矛盾した事態をも、いとも簡単に作り上げることができる。俳優がドアをノックするのに驚いたとして、もし彼のリアクションが満足のいくものでなかったとしたら、俳優がスタジオで演技するときに、俳優に黙って銃を撃つことによって驚かして撮影したりしてた都合のよいテイクに、監督は置き換えることだってできる。その驚いたリアクションをカットして実際のシーンに組み込むことができるのだ。長いあいだ、アートの独断場であった、「美しい見せかけ」の分野で、これ以上衝撃的な見せ方はのこされていないだろう。


X

カメラの前の俳優が感じる妙な気分は、ピランデロが言ったとおり、基本的に、普通の人が鏡の前で感じる、疎外感と同じものだ。しかし、その映ったイメージは切り離して、移動することができる。さて、どこにそのイメージは移動するのだろうか?・・・そう、観客の前だ。この実感を俳優が感じない瞬間は決してない。カメラに向かっているあいだ、俳優は観客に向かっているのだ。そして、その観客によって市場が形作られるのだ。この市場は、俳優が労働力を提供するだけでなく、俳優自身、すなわち、身も心もささげている市場は、俳優が把握している範囲を超えているのだ。撮影のあいだ、俳優はスタジオでおこることを、なるべく無視するようにする。このことは、ピランデロによれば、俳優が抱くあたらしい不安感を強要しているということらしい。映画は、スタジオの外で人工的に形作られる「性格」とともに、「アウラ」を弱々しいものにする。映画業界のお金の力で強化される映画のスターをあがめたてまつることは、俳優個人ただ一人だけである「アウラ」の意味をなくし、インチキな商品的な価値だけを意味する「人格の魔術」を温存するのだ。伝統的なアートのコンセプトへの革新的な批評を推進せず、映画産業の資本が流行を単に仕掛けているうちは、革新的な功績を、今日の映画に認めることはできない。わたしたちは、今日の映画が社会に対してや、財産の再分配において、革新的な批判を推進するということを否定はしない。しかしながら、わたしたちの最近の研究では、西ヨーロッパの映画制作では、このことをさして特別に取り上げることでもないと、結論づけるのだ。
だれもが、すごい人の業績の証人になれるということは、スポーツと同じく、映画の本来的なものだ。新聞少年たちが彼らの自転車に寄りかかって、自転車レースの結果について話し合っているのを聞いたことのある人にとっては、とても明白なことだろう。新聞社が新聞少年のために自転車レースをアレンジしないというわけではない。新聞少年からプロ競輪選手がでて、その勝者になれるという、チャンスを与えることは、参加者の興味をひくだろう。それとおなじく、ニュース番組は一般の人に、映画のエキストラとして、出演できるかもしれないという、チャンスを与えているのだ。このようにして、人は、ヴェルトフの「レーニンの三つの歌」や、イーヴェンの「ボリナージュ」を見た人として、アート作品の一部になれるかもしれないと思うわけだ。今日では、どんな人も、映画に出たいと思うことができる。この思いは、現代の文学の状況と比べてみると、非常にはっきりしている。

何百年ものあいだ、数少ないライターが、何千もの読者の相手をしていた。が、前世紀の終わりごろにむけて、変化が起きてきた。出版社の数が増えることによって、新しい政治的、宗教的、学術的、プロフェッショナル的、地域的な読者の組織がまとまるにつれ、多くの読者が、(はじめは、一時的なものであったが)ライターに転身した。新聞も「読者欄」をもうけはじめた。そして、今日では、原理的に、給料をもらって、どこかで書き物を出版し、だれかが彼の文学作品や苦情や、ドキュメンタリーとか、にコメントされるチャンスがまったくないヨーロッパ人はめったにいない。したがって、作者と読者の境はなくなりつつあるといえる。その違いは単に、役割のみで、それも、ケース・バイ・ケースの違いだけだろう。非常に特殊で他との関係が分かりにくい労働のプロセスにおいては、専門家として、たとえ少数派の尊敬しか受けないとしても、読者は作家業にのりだすことができるのだ。ソ連では、仕事そのものに「声」が与えられている。口頭で言いあらわすことは人間の仕事をする能力の一部なのだ。文学者の資格は特別な訓練によるというより、単に学校に行くことによって得られ、したがって、誰でもが、えられるものになっているのだ。

このことは、すべて、映画にも当てはめて考えることができる。映画は文学が何百年もかかったことを、たった数十年で成し遂げてしまった。映画のやってきたことにおいて、特にロシアでは、この転換は現実になってきているのである。わたしたちがロシア映画でみた俳優の何人かは、わたしたちにしヨーロッパ人の意味する上での俳優ではなく、はじめに労働者として自分自身を位置づけているのだ。西ヨーロッパでは、映画の資本主義的な営利目的は現代の一般人の映画に出たいという思いを打ち消す。この状況下で、映画産業は観客をふやし、妙な思惑をいだかせ、大衆の幻想を通した妄想に弾みをつける。


XI

映画の撮影現場は、とくにトーキー映画は、それまで、考えもよらなかったような場所になってきている。見たこともない付属品のようなカメラ機材や、照明機器や、アシスタントのスタッフなどなど、実際の撮影シーンを観ている人の視線からしめだすことは不可能だ。ただ、彼の目がカメラのレンズを覗いているときはちがうだろうけど。この光景をみて、ほかのなにより、スタジオと舞台のあいだで似ている部分をあげることは、軽はずみであまり重要とはいえない。劇場では、演劇がただのイリュージョンでしかないと人々は気づいかないようにしている。撮影された映画のシーンにそういった部分はない。イリュージョンの性質は二次的なもので、編集の結果によるものだ。つまり、機材が、観客を純粋にヘンテコな機材から解放するというリアリティーに非常に深く埋め込まれていているスタジオでは、機材の物質性は、特殊なやり方、すなわち、特定の場所に置かれたカメラによって撮影されたシーンと、その他似たような場所に置かれたカメラと一緒に撮影されたシーンを合成することの結果なのだ。機材を無視するというこの側面は、人工の極みになった。つまり、直接的な現実の風景は、テクノロジーの荒野に咲く蘭の花になったのだ。
劇場の状態とまったく異なるこの状況と、絵画の状態を比べることは、ものごとをもっとわかりやすくする。さて、ここで問題だ。カメラマンはどのようにして、画家とくらべれらうるか?この問題に答えるために、手術と共通点を見出してみる。外科医は祈祷師とまったくことなるものだ。祈祷師は病気の人に手をかざすことによって治療する。一方で、外科医は病気の人のからだを切ることで治療する。祈祷師は病人と自身のあいだの距離を自然なものに保つ。しかしながら、祈祷師は手をかざすことによって、すこしその距離を縮めるわけだ。そして、彼のパワーを増すのだ。外科医はまったく反対のことを行う。彼は、病人のからだの中に手を突っ込むことで、病人と自身の距離をものすごく縮める。しかし、手で内臓を注意深く触ることは若干その距離を保つのだ。端的に言って、祈祷師とくらべると、(医者のあいだにもそういう人はいまだ多少いるだろうが。)外科医は決定的な瞬間において、病人と一対一で向き合うことを避ける。すなわち、これが患者の中に入るという手術なのだ。

祈祷師と外科医は、画家とカメラマンと比べることができる。画家は彼の作品において、現実から自然な距離をたもち、カメラマンは現実の網の目に深くもぐりこむ。ここで、おのおのが得られる画像のあいだには、とんでもない違いが生じる。画家が得る画像は、トータルなもので、カメラマンの得る画像は、新しいきまりごとに基づいて集められた、たくさんの断片からできている。したがって、現代の人にとって、映画によって表現される現実は、画家が作り出すそれとは、比べようもなく重要なのだ。なぜなら、その表現の正確さは、つまるところ、機械でできた機材によって、すべての機材を意識しなくなるという、事実からくるものであり、そのこと自体は、徹底的なその事実の浸透によってもたらされるえるものだからだ。


XII

機械的な複製は大衆のアートへのリアクションを変える。ピカソの絵画へは反感を抱くのに、チャップリンの映画には、進歩的な反応をする。進歩的なリアクションは、批評家の導きによって、ビジュアルと感情的な喜びが親密に溶け合うことが直接的につながることによって特徴づけられる。そういった、融合は社会的にも重要だ。社会的なアートの重要性が薄れれば薄れるほど、批評家と大衆の喜びの差がよりはっきりする。保守的なものは、批判することなく受け入れられ、ほんとうに新しいことは反感を持って批判される。しかし、スクリーンを引き合いに出すと、大衆の批判的な態度と寛容な態度はぴったり一致するのだ。このことに対する決定的な理由は、個人のリアクションは、制作されたすぐそばから、一般の観客の反応によってあらかじめ決まっているということである。このことは映画のほかに見られないことだ。このように反応する時は双方がコントロールしているということが明らかになる瞬間だ。そしてふたたび、絵画と比べることが、役に立つだろう。絵画は、いつも一人から数人に観られるというある意味素晴らしい機会を得てきた。おもに十九世紀に発展した、大人数のひとが同時に絵画を鑑賞するということは、絵画危機の最初の兆候だった。その危機は決して写真によるところではない。というより、そのこととは関係なくて、アート作品の大衆へのアピールによっるものであったのだ。
建築が、過去の叙事詩が、そして、今日の映画が、いつも可能してきたやり方では、集団によって、絵画は鑑賞されにくいということが単純に言える。この状況が絵画の社会的役割についての結論を導き出すべきものではないが、絵画に重大な脅威を引き起こすことにはなった。それは、絵画が、特別な状況で、そして、いままでの通り、あるいはその性質に反して、大衆に鑑賞されることになるとすぐのことであった。中世の教会や修道院や宮殿では、十八世紀の終わりごろまで、集団によって、絵画を、同時にではなく階層によって順序をつけて、ではあるが、鑑賞されていた。変化は、絵画が機械的に複製できるという矛盾によってによって引き起こされた。絵画はギャラリーやサロンでおおやけに展示されるようになり始めたが、大衆をうまくまとめて、見せるやり方や、大衆をうまく受け入れてコントロールするやり方が見つからなかったのだ。こういうことから、グロテスクな映画には進歩的な態度を示す大衆も、シュールレアリズムには反感をもつのである。


XIII

映画の特徴は、人が機材に自分を見せるというあり方にあるだけでなく、その機材によって、彼の環境までを見せるということにある。職業心理学的観点は、試験的な機材の能力を明らかにする。精神分析は、それとは違った側面のことを明らかにする。映画は、われわれの感覚の領域をフロイトの理論によって示されるやり方によって豊かにする。五十年前に、舌を滑らせたようなことは、多かれ少なかれ、聞き過ごされてしまってきた。例外的に、その失言が、表面的な方向性を決めているような場合はその会話の深さを明らかにした。「日常生活の心理学」によって、ものごとが変わったのだ。この本は、他の本とは一線を画している。そして、広い知覚の流れのなかで、いままで、適当に流されてきたものを分析できるようにさせた。視覚的、そしていまでは、聴覚的なすべての領域にとって、映画のもたらす知覚は、統覚心理学と似た知覚の深さと同様なものをもたらす。映画に写されたものがは、絵画や舞台で表現されるよりも、もっと細かくそして、もっと視点をついたかたちで分析されることができということは、たんに事実を指摘しているだけだ。絵画と比べると、映画の撮影が、分析することに長けているのは、他と比べようもなく、正確に状況を説明できるからだ。演劇と比べて、映画に出てくるものが、分析的なのは、より簡単に現実から切り離すことができるからだ。この状況は、アートとサイエンスがお互いの分野を、はみ出すことをうながす傾向の重要さに由来する。実際、からだの筋肉のように、丁寧に適切な状況に持ち込まれ、撮影されたものの、(以前は通常分けて考えられていた)科学的な写真の利用とアートの価値をあわせることは、映画の革命的な役割のひとつになるだろう。
われわれの周りのものをクローズアップすることで、また、見慣れたものの隠された部分にフォーカスすることで、あるいは、カメラの精巧な案内のもとで、ありふれた社会を探索することで、映画は、わたしたちの生活を決定付ける必然に対する理解をひろげ、その一方で、莫大で思いもよらない行動の領域が存在すると、わたしたちに確信させる。居酒屋、都市のストリート、オフィス、家具付きの部屋、駅、工場などが、わたしたちを絶望的につなぎとめてしまう。そして、映画が現われて、このとらわれた世界観を十秒間のダイナマイトでばらばらに吹き飛ばしてしまった。そしていま、広範囲にちらばったガラクタの真ん中で、わたしたちは静かに、そして、大胆に探索に出かけるのだ。クローズアップによって、空間の認識は広がり、スローモーションによって、動きの認識が広がる。スナップショットの引き伸ばしは、単に目に見えるものの詳細を表しているのではなく、はっきりとしないものの、まったく新しい対象の構造を明らかにするのだ。したがって、スローモーションも動きの認識の質を高めるだけでなく、いままでまったく知られていなかった「なめらかで流れるようでいて、超自然に見える動きに単一の効果をあたえているような、ようなすばやい動きへの認識」を明らかにするのだ。あきらかに、今までと違う自然が裸眼によってではなく、カメラによって、明らかになる。無意識に突き抜かれた空間が、いままで人間によって意識されていた空間に取って代わる。まるで、歩いている瞬間を意識せずに、ただ単に人が歩いているように。ライターやスプーンへ手を伸ばす動きは見慣れたものだが、われわれは、実際に手とそのモノのあいだにどのようなことが起こっているのかは、いかに、われわれの気分によって移ろいやすいものかを述べるまでもなく、まったくわかっていない。ここでカメラは、アングルを低くしたり、高くしたり、フラッシュバックしたり、スローモーションしたり、ロースピード撮影たり、クローズアップしたり、ひいて撮ったりして役割を果たす。カメラは、精神分析が明らかにするように、意識していなかった視覚を無意識の視覚を明らかにする。


XIV

アートの一番の役割はいつでも、後の世に満足されるような創造を試みることにある。アートの形式の歴史において、いつでも、危機的な時代があった。そのような時代でも、いくらかのアートの形式は技術的な水準をまったく塗り替えるということを目指していた。アートの未成熟な行き過ぎは、特に、退廃の新時代と呼ばれたときのものは、結局、もっとも豊かな歴史的エネルギーの核心から、もちなおすものなのだ。最近では、未開の文明がダダイズムの肥やしになったりもした。今になってやっと認識できる激しさというわけだが、ダダイズムは、文字通り、今日の映画が大衆に与えようとしている、効果を絵画によって作り出そうという試みである。
創造の欲求の先鋒である、すべての基本的な新しさは、ゴールに向けられている。ダダイズムは映画の最大の特徴である、市場的な価値をながしろにしながらも、その価値をのばした。もちろん意識的ではないにしろ。ダダイストは作品を売るということに重きを置かないで、その瞑想的な没頭による無用さに重きを置いた。物質的な陳腐さは無用さにいたる手段としては、どうでもよいことである。彼らの詩は猥雑で考えうる言葉のゴミを含む「言葉のサラダ」なのであった。おなじことが釦や切符を貼り付けた絵画にも言える。彼らがめざしたものは、創造における「アウラ」のたゆまざる破壊にあり、制作することの意味において、複製品は重要な特徴であった。アープの絵画に対して、もしくはアウグスト・シュトラムの詩に対して冷静に何かを考えるのは難しく、ドランの絵画やリルケの詩の前で、何かを判断するのも難しい。ミドルクラスが下り坂になる際に、じっと考え込むことは、社交的でないということになった。つまり、社会的な振るまいの変化の一つとしての反動としてとらえられた。ダダイズム的な活動は実際のところ、スキャンダラスなアート作品を作ることによって、猛烈な破壊行為であるということを保証した。そして、ある一つのことを第一にもとめた。つまり、大衆を怒らせろ、ということだ。

魅力的な外観や、説得力のある音の構成により、ダダイズムのアート作品は衝撃的な楽器になった。作品は観る人に、弾丸のように突き刺さり、具体的な質を手に入れた。それは、映画のに対する欲求を高めた。人の心をかき乱す部分(結局のところ具体性をもったもの)は、映す場所やフォーカスの変化に基づき、観るものを何度も激しく挑発する。映画のスクリーンと絵画のカンバスを比べてみよう。絵画は観る人にじっと考えさせ、観る人はひとりになることができる。映画を見ることによってはそうは行かない。眼がシーンをとらえるや否や、それはすでに変わっているのだ。結局とらえることはできない。映画を嫌い、その重要性をまったく認めなかった、デュアメルは、しかしながら映画のストラクチャーについてはよく考えていた。そのことをこのように記している。「私は、考えたいと思っていることを考えることができない。私の考えは、動いているイメージに置き換えられてしまっているのだ。」これらのイメージを観ることを組織的にとらえるプロセスは、しかしながら、絶えることなく、そして突然にやってくる変化によって邪魔されるのだ。このことは映画の衝撃的な効果を構成し、その他すべての衝撃のように、高められた意識のあり方によってやわらげられる。技術的な構造の意味によって、映画は、ダダイズムが精神的なショックの効果のうちにとどめていたものを、肉体的なショックとして、むき出しにするのだ。

XV

アート作品に対する、すべての伝統的なこころみが、今日的な新しい形式に生まれ変わることにおいて、大衆はその母体だといえる。量的なものが質的なものに変化してきているのだ。ものすごい量の大衆の参加は、その参加の仕方自体を変えてしまった。大衆の参加がはじめは悪い形で現われたと、思うべきではないだろう。重箱の隅をつつくような批判をする人はいたことはいたが。そのなかでも、デュアメルはもっとも極端なやり方で批判している。彼が向けた矛先はほとんど、大衆が参加するという部分だけである。デュアメルは映画のことを「ただの奴隷の気晴らしで、教養がなく、あわれで、ボロボロで、しかもロサンジェルスの「スター」になるより希望の光のない、将来の展望に対する不安によってヨレヨレになった、人々のための逃避でしかない」といっている。あきらかに、この見方は、アートが観るものに対して集中することを要求するところ、大衆はたんに気を紛らすものを探すという、昔ながらの悲観的なものの見方と相通ずるものがある。よくある話だ。が、しかし、このことが映画のプラットフォームに対するちゃんとした分析になっているかどうかという疑問は残る。もっとよく考える必要があるのだ。気をまぎらすことと、集中して鑑賞することはまったく異なるものだ。それは以下のように、説明できるだろう。つまり、アート作品の前で、集中する人は、結局作品にのめりこんでいるのだ。その人、はむかしの中国人のペインターが絵を描きおえて自分の作品を眺めているようにして、作品にのめりこむ。反対に、気もそぞろな大衆は作品を吸収する。これは、建物を見るときにもっと明らかだ。建築はいつでも、アート作品のプロトタイプをあらわしている。なんとなしにやってきた人々の集まりによって成り立つ建物のレセプションがそのプロトタイプなのだ。レセプションのありかたが、最もそのことを言い表している。

建物は有史以来、ずっと人間のかたわらにあった。たくさんのアートの形式があみだされ、すたれていった。ギリシャ悲劇は結局すたれたが、何百年もあとになって、その「きまりごと」だけがリバイバルされた。いろいろな国の若者によって詠まれた叙事詩はルネッサンスの終わりごろのヨーロッパまで伝えられた。パネルに描かれた絵画は中世の発明だけど、何にも存在を脅かされないというわけではない。しかし、人間には自らを覆う壁が必要だとことは変わりがないので、建築がないがしろにされるということはなかったのだ。その歴史は他のどのアートより古く、生活に必要だという事実は、大衆のアートへの関わり方を理解するうえでとても重要だった。建物は二つのやりかたで受け入れられてきた。つまり、利用することと鑑賞することだ。もっといえば、触れることと、みることだ。そのような接し方は、有名な建物の前のツーリストが鑑賞するような意味では理解されないだろう。触れるという側面は、観るという側面を深く考えることの延長線上にはない。触れることによって接することは、意識的になるというより習慣的なところが大きい。建築についていえば、習慣は目に見えていることですら、大きく影響を受ける。観ることも、ありがちなファッションとしてモノをみるのでなく、いつも心を奪われるようなやりかたで注目しているとは、言いがたい。建築への接し方は(建築を考えることによって明らかになったわけだが)、いくらかの状況のもとでは、正当な価値をみたすといえるだろう。人間に向き合うために、歴史的ターニングポイントにある感覚器官は、目に見える意味によっては理解されないだろう。すなわち、一人で深く考えることによっては理解されるのだ。それらは、触れることで得られる導きのもと、習慣によって少しずつマスターされていくのだ。

人は習慣によっても散漫になる。そのうえ、散漫な状態で物事を解決することは、その解決が習慣的になるということでもある。アートによってもたらされた気晴らしは、今まで見えなかった範囲のコントロールを明らかにする。新しい問題が知覚によって解決できるものになるのだ。さらにそのうえ、個人がその問題を避けて通りがちなことがらから、アートは最も難しく重要なその問題に取り組む。その解決は、いずれその個人にも置き換えることができるのだ。最近は、映画がその役割を担っている。(アートの分野で目だって増えていて、知覚の深い変化の兆候である)気晴らし的に接することは、映画の分野では制作することの、ほんとうの意味をみつけるだろう。衝撃的なエフェクトとともに映画はこの接し方を受け入れつつある。映画は、大衆を評論家として押し出すことによってだけでなく、映画を語ることにおいて、この評論家という地位が意味を成さないという事実によっても、その宗教的な価値を過去のもにする。大衆は評価者であるけど、からっぽでもあるのだ。


おわりに

現代の人間の労働者階級化と、大衆層の増大は同じプロセスの二つの側面をもっている。ファシズムは、大衆が消し去ろうとしていた、財産の社会構成に影響を与えないようにして、新しく生まれた労働者階級層を組織しようとしていた。ファシズムは大衆に権利を与えるのではなく、彼ら自身を表現させることに、見せかけの救済があることをみいだした。大衆は、財産の関係を変える権利を持つ。ファシズムは、彼らが財産を温存しているあいだに、大衆に自分自身を表現させる。ファシズムの論理的な結果は、政治的生活に芸術的な趣味をもちこむことの走りだった。ファシズムがそのフューラー教とともに、ひざまずかせた、大衆による侵害は、宗教的な価値の生産を無理強いする組織による横暴に応対するものだった。
すべての政治的美学への取り組みは、あるひとつのことに集約される。戦争だ。戦争、戦争だけが最も大きいスケールの大衆運動にゴールを設けることができる。古い財産体制をそのままにして。こういうのは、こうした状況の中での決まりきった政治的なやり方なのだ。技術的な常套手段としては、以下のようなものだろう。戦争だけが、財産体制をそのままにして、今日の技術的なリソースを流動させることができる。ファシストの戦争崇拝がそのような議論はさまないということを言わないで物事がすすむのだ。マリネッティはエチオピア植民戦争における宣言の中でこのように言っている。

「二十七年ものあいだ、われわれ未来派は美学に反するものとしての戦争を印象付けるものと戦ってきた・・・・結果的にわれわれはこのように宣言する・・・戦争は美しい。なぜなら、ガスマスクや、身のすくむような拡声器や、火炎放射器や、小さな戦車を用い機械を意のままに操ることで、人間の支配力を打ち立てるからだ。戦争は美しい。なぜなら、夢を立ち上げるからだ。---人間のからだの物質化を。戦争は美しい。なぜなら、マシンガンによる炎の花を牧草地にいっぱいに咲かせるからだ。戦争は美しい。なぜなら、交響曲のなかで、銃火や、連続砲撃や、休戦や、腐敗物の悪臭を一緒にするからだ。戦争は美しい。なぜなら、戦争は新しい美学構造を築き上げる。巨大な戦車のように、幾何学的なフォーメーションを組んだ戦闘機のように、燃える村かららせん状に立ち上る、煙のように、そして、その他もろもろのものを。・・・未来派の詩人やアーティストよ!・・・戦争美学の原理を忘れることなかれ。新しい文学や、新しいグラフィックアートへの取り組みはそれらによって明るく照らされるのだ!」

この宣言は、明快だという長所を持っている。その論旨は弁証家を納得させるに足るものではある。弁証家にとっては、今日の戦争の美学は以下のようなものだ。自然に生産力の利用することが財産制度に邪魔されるなら、技術的な手段が増えることは、早さにおいて、エネルギーの資源において、不自然な利用法を押し付けるだろう。そして、このことは、戦争のなかに見つけることができる。戦争の破壊性は以下のことを証明する。社会はテクノロジーを器官として取り入れるには、十分に成熟していないということ。テクノロジーは、社会の基本的な力を扱うことにおいて十分に開発されていないということ。帝国主義の戦争のとんでもない特徴は、生産の重大な意味と不適切な生産プロセスの利用法のあいだで矛盾を起こしているということから来る。いいかえれば、失業と市場の欠如ということだ。帝国主義の戦争は、技術の反乱なのだ。その技術は「資源としての人間」の形をとって、集められる社会が否定する自然資源に対しての要求なのだ。川を枯れさせるかわりに、社会は塹壕のベッドに人を流れ込ませる。つまり、飛行機から種をまくかわりに、都市に焼夷弾を落とすのだ。そして、毒ガス戦を通して、「アウラ」はあたらしいやり方で消失するのだ。

「Fiat ars -- pereat mundus」とファシズムはいい、そして、マリネッティが認めるように、戦争への期待はテクノロジーによって変更された知覚の意味をアーティスティックな部分で満足させる。このことは、疑いなく、「アートのためのアート」を達成させる。ホメロスの時代の人類はオリンピアの神のために考える物体だった。今は、自分自身のために考えるのだ。その自己疎外は、一級の美学的な楽しみとして人間自身の破壊を経験することができるといった段階に達した。これが、ファシズムが示した政治的な状況なのだ。コミュニズムは政治的なアートによってこれにこたえるのだ。



訳者あとがき

七面倒なことをすっとばして要約すると「これからのアート作品は、簡単に複製できるようになるから、いままでの作品みたいに、長い歴史の中でオリジナルだから偉いんだ、というのは通用しないよねー。」ということだと思う。(違うかな。。)方々で書かれている通り。なんかそれ以上でも以下でもないように思えて、訳してて途中で飽きちゃった。

ファシズムの話とか出てくるけど、ヒットラーはとっくにくたばったんだからどうでもいいだろうが。というのは冗談だけど。

じゃあ、この先をどう続けようかと、考えるきっかけになる。たぶん、これはそういったテキストなんだろう。そういう意味ではやっぱりすごいテキストなのかな、昔のことだし。


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